3360.読売新聞の村上春樹インタビュー:『1Q84』をめぐって(06/17 10:33)


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「神話的なアイコン」としての「リトル・ピープル」が新たな座標軸になりえるのではないか、と言ってるのかどうか、ということもよくわからないが、少なくとも物語中では「リトル・ピープルに受け入れられ、利用されるもの」としての「リーダー」と、それに反旗を翻したものとしての「ふかえり」が描かれている。神話的なアイコンは「リトル・ピープル」だけでなくある種の神聖婚としてのリーダーとふかえりたちとの交わりや、青豆の唱える呪文、「猫の町」、などなどさまざまなものが描かれている。それが十分に描かれているかどうかは疑問で、『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』の中でもそのあたりのところは明確に描かれているわけではない。村上自身も、それらは「目に見えないファクター」であるとも「われわれ自身の中の何か」であるとも言っている。そういうものだから、もちろんマルキシズムに代わり得るような明確な座標軸ではないことは確かだ。しかし明確でないからこそ力を持ち得る、と言っているようにも思える。

これは次に書かれている原理主義との問題とも関わっていくと思われるのだが――というより私は「リトル・ピープル」というものに原理主義的なものを強く感じたのだが――、原理主義に関しては村上は明確に否定している。

エルサレム賞関連の騒動について、「(インターネットの議論は)僕が受賞するか拒否するかと言う白か黒かの二元論でしかなく、現地に行って何が出来るかと一歩つっこんだところで議論されることはほとんどなかった。」と批判しているが、それは主体たる村上自身はできても野次馬にはできないことだろうと思う。私自身は行くべきとも行かないべきとも思わなかったが、村上が行って何を言うのか、どう行動するのかということについては関心があった。だからあのスピーチについてかなり考えさせられたし、今でもよくわからないところがある。ただ、「原理主義やある種の神話性に対抗する」、それはたとえば「国家と言う神話」、「大義と言う神話」、=「システム」に対抗する、という姿勢の表明であった、ということはわかってきた。村上は徹底的に、何かの思想に寄りかかろう、依拠しようということを拒否しようとしているのだろう。

それもまた一つの思想ではあると思う。「卵の側に立つ」という思想だ。しかしそれが思想としてどれくらいの強さを持ちえるのか、どのくらいの有効性を持ちえるのかはよくわからない。夏目漱石の「則天去私」という思想がやっぱりあんまりよくわからないのと同じように、あんまりよくわからない。まあ、優れた作家というのは徹底的に個人主義だ、という意味でいえば、社会というものから作品を見ようという視点が少しでもあるこちらから見るとそこが理解できない一点であるのかもしれないとも思う。結局、「理解はできるけど、それでいいのか?」という気持ちがどうしても消えない部分があるのである。

物語の重要性について繰り返し語っていることは、だんだん了解できてきた。「作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと思う。物語は残る。……物語というのは丸ごと人の心に入る。即効性はないが時間に耐え、時とともに育つ可能性さえある。インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない。……小説家は表現しづらいものの外周を言葉でしっかり固めて作品を作り、丸ごとを読む人に引き渡す。……読んでいるうちに読者が、作品の中に小説家が言葉でくるみこんでいる真実を発見してくれれば、こんなにうれしいことはない。」『1Q84』では、今までにもまして「外周を言葉でしっかり固め」た作品だという印象を受けた。作家とはこういうもの、ということで、村上は自分がこれから目指すものを語っているのだと思う。

「意見」については、「「壁と卵」の話をいくら感動的と言われても、そういう生(なま)のメッセージはいずれ消費され力は低下するだろう。」という見方を示している。そこはやや微妙だと思うが、しかしまあそれは村上の小説家としての矜持を示しているともいえるだろう。「物語」ではなく、たとえば「箴言」で言葉の強さを維持していくという方向もないわけではないからだ。「神の見えざる手」という言葉ほど影響力を持っている物語がどのくらいあるかと考えると。たとえばマルクスなどもこういう手の言葉を操る名手であったわけで、それは毛沢東やレーニンもそうだ。……まあそれこそが原理主義であり、ある種の神話で、小説家が打破すべき対象だ、ということになるのかな。「ひとことで語られる「真理」」と「多くの言葉で語られる「物語」」こそが本当の対立軸なのかもしれない。

以上6月16日掲載分の「上」について。

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以下6月17日掲載分の「中」について。本日分の内容は大きく四つに分けられる。『1Q84』執筆の過程について、「現在を生きて成長しつづける若い人」への興味、「暴力と性」の重要性、そして「続編はあるか」という問いに対する「このあとどうするかということは、ゆっくり考えて行きたい。」という答え。


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