3357.「その悪意は、解決すべき問題なのか」(06/20 16:01)


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しかし、こういう攻撃性の高い人の行いたいことはただひとつで、「自分が相手よりも優位である」ことを認めてほしい、自己承認欲求がほとんどだというのは重要だ。こちらや一般の人から見れば悪意があるように見えるが、書き込んだ本人は正義だと思っていて、悪意だと思っていないことが多いのだという。歪んだ正義であれ本人が正しいと思っていれば攻撃すること自体の矛先は鈍らない。客観的に見れば悪意でも本人にとっては正義の鉄槌なのである。たとえどんなに嫌がられようとも。

攻撃される人と攻撃している人の関係性は何で、相手はこちらの何をたたくことでカタルシスを得ようとしているのかを理解することが重要だという。それを理解することで、「その悪意は、解決すべき問題なのか」を判断することが重要だという。解決すべきならそれが有用性を損なわない範囲で可能ならばしたほうがいいし、そうでないなら放置するという選択肢もあるのだ。

重要なのは、この「スルー」、あるいは「相手にしない」ということにも一定の意志が必要だということを理解する必要がある、ということだと思う。ある程度は「忍耐」が必要なのだから。その「忍耐」が理不尽だと思うと、人は行動したくなってしまう。戦うにしろ、逃避するにしろ。しかしその忍耐する力というのが人間の体でいえば自然治癒力とか免疫力というものなのだと思う。過剰に反応すると、病原菌を勢いづけてしまうだけでなく、体がバランスを崩してしまう。こちらのバランスを崩さない範囲で対応しなければならない。

悪意にはいずれにしても意志を持って対処する必要があるのだ。悪意もまた意志なのだから。全く面倒なことだが、人間は悪意から完全に無関係であることは不可能である以上、ある程度の意志は常に持つべきなのだということだと思う。自分を守るために、また自分の文章を読んでくれる人のためにも。


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