夕方気を取り直して出かける。今度は財布は確認して、丸の内の丸善へ。本をいくつか物色したが、どういう傾向のものが読みたいのかわからないこともあり、何も買わず。夕食を取ろうと思ったが、MCカフェはなんだか混んでいたので、日本橋まで歩いた。日本橋の丸善でMCカフェに入り、キールを一杯のみ、ハヤシライスを食べた。このカフェは、確かに丸の内のほうがゴージャスなのだが、日本橋も悪くない。こじんまりしていて、あまりこんでいなくて、落ち着く。日曜は結構込んでいるけど。
<画像> | 細川護煕「閑居に生きる」 (和樂ムック)細川 護煕小学館このアイテムの詳細を見る |
食後、ぶらぶらと本を見ていて、どこかで見た顔が表紙の和楽ムック『細川護煕 閑居に生きる』(小学館、2009)を立ち読みする。ルオーの花の絵、細川の作陶風景、「縄文建築団」の藤森照信・赤瀬川原平・南伸坊など、最近ではあまり見なくなった人たちがぞろぞろ登場していて、なにやらいろいろ楽しげだしきれいな写真が多い。細川と言う人はいわずと知れた元首相ではあるが、還暦で政治の世界から引退し、作陶に耽っていると言う話は聞いていたが、かなりよくわからない面白いことになっている。現在は整体協会の会長でもある。結局この本は買ったのだが、いろいろ思ったよりも面白い。細川家伝来の道具類の写真もあるし、幽斎・三斎の二人の祖先を子孫である細川がどう見るか、など意外性があって面白い。
政治の俗塵に塗れたあと、こうして清澄な世界に住むというのもある意味人間としての理想なのかもしれないと思う。生活の中にクリエイティブなものが取り入れられ、一つ一つのものに熱中していく様が面白い。茶室がほぼ一日で出来てしまって驚いた細川が茶室の名を「一夜亭」にしたというのも面白いなと思う。つくったのは俳優座の大道具と縄文建築団、つまり建築の素人。プロであったらこんなバカな仕事はしない、というのが面白い。本当に面白いものを作れるのはプロではない、というスタンスがまた細川らしくて面白いが、とはいっても俳優座の大道具だからねえ。建築家ではなくてもプロはプロなんだけど。
昨日はお洒落なカフェの本を買っているし、こういう方向のものが今の自分には必要なんだなと思う。生け花を生ける、というのも同じような方向性だ。ここの所疲れていてなかなか生けられないのだけど。考えて見ると、90年代に生きるのに疲れていたとき、救いになったのは白洲正子だった。身の回りに美しいものを見、身の回りに美しいものを置き、美しいものを探してどこまでも歩き、それについて感嘆をこめて書く。美しさは概念ではなく、ものそのものの中にあるという小林秀雄の教えを受け継いで、ものそのものの美しさを追求した。そういう行き方をもう一度見直さなければいけないんだなと思う。
自分はどうしても概念とか観念的なもの、形のないもやもやとしたものに惹かれる部分があり、というか最近はそういうものにちょっと囚われすぎていた感じがするが、確かな形のあるものをもう少し大事にしなければいけないなと思った。