3352.攻撃の起点(06/25 21:02)


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物を書くためには、ものを読むことから始まる、ということは多い。サッカーの攻撃がボールを奪うところから、つまり守備から始まり、攻撃に移るように、読むという受身の行為をしているときに受けた刺激が書くという能動的な行為の起点になる、ということだ。マンガは自分にとって、なかなかそういう「攻撃の起点」にならない。村上春樹の小説や発言を読むといくらでも書きたいことが出てくるから、できた作品の内容はともかく、「攻撃の起点」になる存在だなと思う。でも多分、村上の作品に耽溺するタイプのファンであったら、そういうふうにはならないだろう。私は村上の作品を読むといろいろなことを考える。考えてそれを言葉にしたくなる。書いてあることの意味がわからないと、その意味を知りたくなる。でも教えてほしいわけではない。それを考えるのが楽しいのだ。また誰かがそれについて書いているのを読むと、それは自分の解釈とは違う、自分はこう考えたい、というのが出てくる。村上の小説は、読んだひと一人一人に違う物語を作らせるところがある。イシグロなんかもそうだと思う。

しかし、『ねじまき鳥』以前の作品は、少ししか読んだことがないが、あまりそういうところがない。何を言いたいのか想像したくなる、ということ自体が少ない。読んでいてもあまり楽しくならない、といえばいいか。

読む人の「攻撃の起点」になるような文章を書きたい。そしてそれを読んだ人が刺激されて何かを書いて、それを読んだ私がまた刺激されてそれがふたたびこちらの「攻撃の起点」になる、そういう文章が書きたい。


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