3338.磯崎憲一郎『終の住処』読了。これははじめてわれわれの世代の感覚を描いた作品ではないか。面白さのあまりつい選考委員の論評までしてしまった。(08/12 10:08)


< ページ移動: 1 2 3 4 >

宮本輝。「観念というよりも屁理屈に近い主人公の思考はまことに得手勝手で、鼻持ちならないペダンチストここにあり、といった反発すら感じた」というのは、いやいや全くその通りと笑い出したくなる。いやもうそういうものすら笑いのネタなんですよ、と言うと怒られそうだが、二作三作とこの人が書きつづけて一定の評価を得られるようになってきたらその味わいも広く理解されるようになるんだろうと思う。磯崎憲一郎は根本的にコメディ作家だと思う。

村上龍。前掲のとおり。「芥川賞メッタ斬り」ではないが、新しい作品とは石原慎太郎と宮本輝が眉をひそめる作品、という指摘はそれはそれとして、村上龍が反発する作品、というのも面白い小説の条件なのではないかという気がしなくはない。磯崎も二十代でこういうものを書いたら小説を小ばかにした感じのもっとすごく反発を買うような作品を書いたと思うのだけど、人生を書けるようになってから、つまり大人になってから書いたこの作品は、そう言う変に才気走ったところは最小限になっていて、根本が上質なコメディになっているように思う。コメディというのは人生を知ってはじめてかけるものだよなあと改めて思う。

池澤夏樹。持ち味が一番磯崎に近いのはこの人だと思う。小説の文法という観点から通常の小説との違いを三つ指摘している。「第一に主人公が徹底して受動的であること。第二に、停滞と跳躍を繰り返す時間処理が独特であること。第三には時として非現実的な現象が平然と語られること。」この三つは、自分で書いていても思うが、われわれの世代のコメディの必須の三条件であるような気がする。池澤の「スティルライフ」は初めて読んだとき、自分が20代のときに感じていたことをこんなに上手に書ける人がいるのかと感動したが、われわれの20代はもうずっと遠くに過ぎ去ってしまっていて、今さらその感じ方で何かを書こうと思っても無理、と思ったが、磯崎の文章はこういうのもありだよなあという希望を感じさせる。自分も頑張ってみようと思わされた作品だった。池澤は選考委員の中で一番世界を、世界の文学を見ている人だが、磯崎もまた三井物産の次長として世界を相手にした仕事をしてきた人なのだ。作家という狭いサークルの中にとらわれない、広い世界を書ける人が出てきて、一番うれしく感じたのは池澤かもしれない。

***

『文藝春秋』で読んだけれども、単行本を買ってもいいなと思う。また、2007年に文藝賞を受賞して以来の作品も、読んでみたいと思った。amazonでみる限りでは、受賞作の『肝心の子供』以来、『眼と太陽』『世紀の発見』と三作出して、『終の住処』が4作目ということのようだ。

<画像>終の住処
磯崎 憲一郎
新潮社

このアイテムの詳細を見る

< ページ移動: 1 2 3 4 >
3338/5073

コメント投稿
トラックバック(1)
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21