3332.合理的な図書整理法/磯崎憲一郎『眼と太陽』(08/18 16:24)


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前半は、アメリカのさまざまな風景が描かれていて、すごく懐かしい感じがする。私も中西部、オハイオに何回か滞在したことがあるので、その感じが似ている。道路わきに小動物が死んでいる、という描写は全くその通りで、目の行くところが似ているなあと思う。作者は就職後、たぶん結婚後にアメリカに赴任して、デトロイトでビッグ3相手の取引を行ったと文藝春秋のインタビューで答えていたが、主人公は独身で赴任し、子持ちの女性と付き合って結婚して帰国する、というストーリーになっている。アメリカに行くということと、人生の転機というか「ある時期」というようなものが重なってくる感じは、結構多くの人が感じるものではないかと思う。

私が90年代に何度もアメリカに行ったのは、当時結婚していた相手がアメリカに留学していたからで、なかなかうまく行かない辛い時期が続いていて、そういう暗い記憶が支配している時期であるはずなのに、なぜか私の記憶の中ではアメリカという土地はあっけらかんとした明るさというか、懐かしさというか、そういう雰囲気が充満している。もちろん日本の風土のような親しさはまるっきりない。何か物語の世界とでもいった方がいいのだが、その物語は自分には欠落している。しかし、語られない何かの物語の、その語られるべき舞台だけを私は見てきたんだなあという感じがする。

『眼と太陽』のストーリーは、なるほどそういうことがあるかもしれない物語が展開して、その欠落した物語の一つのありえる形をみせて、この舞台はこういうふうにも見られるんだよということを示しているようにも見える。途中から「遠藤さん」とピアニストの彼女、そのお父さんとの不思議な、つまりカフカ的なストーリーが割り込んできて唐突に終わり、またそれがわけがわからないのだが。普通の小説だと思って読んでいるうちに、これは冗談なんだろうなと思い直してみたり、いややはりこれはカフカなんだと思ったり。カフカっぽい話って全然成功していない例が多いのだけど、この話はあまりカフカ的につくりこんでないから割と持っている感じがする。

カフカの『変身』では、虫になって死んでしまったグレゴールをあとに、両親と妹が晴れ晴れした気持ちでピクニックに出かけるところ場面があるが、あれがなんだか不思議なリアルさがある。途中出てくる賃借人が三丁目の福助さんみたいで、難しいことは難しいがこれは芝居にしたらやっぱり面白いんだろうなと『変身』を読んだときには思ったが、そういうカフカの奇妙な作り物っぽい雰囲気と、きちんとした描写が織り成すはっきりした視覚的な世界とが上手くミックスされて、わりといい雰囲気を出していたと思う。

私にとってのアメリカ体験は、「人生のうまく行かなかった時期」を象徴するものであるのだけど、でもアメリカ自体は不思議な面白さと懐かしさに満ちていて、この小説を読んでいるとあの時期は悪いことばかりのような気もしたけど、実際「人生」という側面ではろくなことがなかったが、今考えてみると「美」とか「世界」という点では何か貴重なものを得たような気もするし、この小説というのは、「人生のうまく行かなかった部分」というのを上手に肯定し、そこで出会った何かきらきらするものを掬い上げる力を与えてくれるものではないかと思った。痛さと痒さと懐かしさ。上手く言葉にできない人生の三つの要素を。

***

夕方、用事ができて帰郷することになり、8時の特急に乗る。指定がだいぶ空いているので、自由席に乗ることにした。八王子まではかなり込んでいたが過ぎたら空いた。通勤客がかなり使っているんだなと思った。

10時半に実家に戻り、1時半くらいまで『ピアノの森』を読んだり。今朝の起床は7時。時間がなくて、いろいろが後回しに。山麓に出かけて、一度帰宅したが、磯崎憲一郎の『世紀の発見』を買うためにもう一度出かけて、昼食前に帰宅した。


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