3331.川の土手を通る道/金大中死去/政権交代という「未知の不幸」(08/19 17:17)


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昨日。午前中山麓に出かける。上川の土手を走る道を覚えたら、国道を走るのに比べてやたらと速いことを知った。これを覚えてしまうともう国道を走る気がしない。まあ見通しのよい昼間なら、という感じではあるけど。しかし帰った後で買い忘れに気づき、蔦屋から平安堂に回って磯崎憲一郎『世紀の発見』(河出書房新社、2009)を買った。

<画像>世紀の発見
磯崎 憲一郎
河出書房新社

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午後はずっと仕事。夜9時半まで。遅くなって難しい仕事が入ってずっと北極・南極の話を英語で読んでいた。専門用語を調べるための辞書がないので、ある程度以上は正確に読めなかった。

少し疲れが出ているのか、朝なかなか起きられない。昨日も今日も起きたら7時ちょっと前だった。5時に起きるのに比べると、使える時間が全然違う。朝出来ない分があとに押して、予定が押せ押せになっていく。

9時過ぎに家を出て、ガソリンを入れているときにひょっとミラーをのぞいたらひげをそり忘れていることに気づき、近くのコンビニで一番安い電動剃刀を買った。貝印だから大丈夫だと思ったが、どうもちょっと残念な商品。剃ってから相当立つのにまだひりひりするぞ。こういうのは安いのはダメか。土手道を通って山麓へ行く。思ったより時間がかかった。昼前に戻り綿半に行ったら買うつもりだった文庫用の書棚がない。仕方ないので岡谷のケイヨーデーツーに行こうとしたら途中で道に迷ってしまった。うろうろしていたらいきなり知らないホームセンターの前に出て、そこで目的のものを買った。怪我の功名とはこのこと。

職場に立ちより、ついでにトルコキキョウとカーネーションを買って帰宅。駐車場がトラックでふさがれていて入れない。別のところまで置きに行ってここでかなり時間をロスしてしまった。昼食を取って職場に出る。『世紀の発見』はまだ16ページ。あまり進まない。

『ショーペンハウアー全集』を少しずつ読む。哲学者というのはどうも、一人の哲学者を理解するためにはそれに先行する哲学者の思想を理解しなければならず、芋蔓式にソクラテスプラトンまでさかのぼらざるを得なくなりそうで困る。大体今ショーペンハウエルを読んでいるのはニーチェを理解するためだが、さらにその前のカントにも興味が出てきてしまい、どうにもこうにも、である。

***

金大中元韓国大統領死去。韓国の政治家では、やはり突出した知名度を持った人物だった。彼の政治的業績については、私は疑問符をつけざるを得ないが、やはり戦後韓国史を象徴する政治家の一人であったことは間違いない。日本とのかかわりではやはり金大中事件。KCIAに日本で拉致されたこの事件は、韓国の朴政権がいかに強権的で強引な政権であるかをまざまざと日本人の印象に刷り込んだ。その後の光州事件の際には死刑判決も出された。光州事件で政権を獲得した全斗煥が金大中の弔問に訪れていたが、そういう意味ではすでにこれも恩讐の彼方に行ってしまった出来事なのだろう。

しかしこの二つの事件は、日本人の多くに「韓国=悪玉」観をかなり植え付けた。少なくとも韓国政府は軍事独裁政権で悪であると。そしてその彼方の北朝鮮は善玉としてイメージされた。理想の国だとか地上の楽園だとかというのはともかく、まさか日本人を拉致している(ちょうどその当時だ)ようなめちゃくちゃな国だとは誰も思ってなかったに違いない。よく考えてみれば、韓国が悪玉だからといって北朝鮮が善玉であるとは限らないわけで、しかしわりとその単純な思考にみんなひっかかってしまっていたのだ。蒋介石の中華民国が国民党の独裁政権で悪だから中国共産党は善だとか、なんというかわりとそういう不注意な見方で世界を見ていたのが正直なところだっただろう。大体そういうことについては、私も人のことを言えた義理ではない。

90年ごろからだろうか、なんかおかしい、と戦後史観の呪縛がだんだん解けてきてみると、世の中というものは、世界というものは、こんなにも酷いところだったのかと改めて慨嘆せざるを得ないようなものだったのだが、世界はこんなに酷いところだからこそ理想というものが必要なのだとむしろ思うようになってきた。オバマは確かにその先端を行っているが、現実世界の中でどれだけのことが出来るのかは不透明だ。


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