3321.真っ暗な黒い油の海の中/暴露主義の罠/堅苦しいのも低劣なのもどちらもおかしい(08/29 13:09)


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雨が降ってきた。ペーパーフィルターでコーヒーを淹れて、パソコンに電源を入れる。ショパンを聞こうと思ったが、ふと目についたのでRCサクセション『Blue』をかける。『Please』や『Rhapsody』は飽きるほど聞いたが、『Blue』は清志郎が死んでから買ったアルバムなので、まだあまり何度も聴いていない。『Please』よりも『シングル・マン』の叙情性に近い。案外このアルバムが、一番自由に作られているのではないかという気がする。ただブログを書きながら聴くには、言葉が入って来過ぎるので調子が悪い。

<画像>BLUE

USMジャパン

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人といろいろやり取りして思ったが、やはりブログの文章の方向性を元に戻そうと思う。ストレートなことを書きすぎるのは、どうも自分の文章ではない。ただときどきある時期が来ると、こういう書き方をしたくなることがある。それは基本的に、あまり精神的に調子がよくない時期だ。自己探求をすることで自分の中にあるいろいろなものを明らかにすることで自分の方向性を見出そうとすると、自分の中の地獄の釜の蓋を開けることになり、魑魅魍魎が出てくる。それはすべて自分の中にあるものなので、自分にとってはある意味魅力的だ。だからそれについて書きたくなる。でもそれは自分が生きている間に降り積もってきたいろいろな悩みや苦しみ、怒りや絶望、恨みやひがみなどなので、書いている間に本当にそういうもののただなかに放り込まれ、真っ暗な黒い油の海の中で漂っているような感じになってくる。

そういうものを自分が持っているということを、今まで、否定したいと思うところがあった。しかしそれは、自分が生きてきたどうしようもない結果でもあるので、そういうものがあること自体は受け入れられなければならない。

<画像>ピアノの森 16 (モーニングKC)
一色 まこと
講談社

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しかし、それを受け入れるのがだいぶ楽になったのは、『ピアノの森』とショパンの力が大きい。どうしようもない絶望、無力感、苦しみ、そういうものを曲にしたのがたとえばプレリュード15番、「雨だれ」なんだなと思う。そういうものが描かれている、どう考えても絶望的な状況の中から這い上がってきたたくさんのピアニストたちが描かれている『ピアノの森』は、ある意味そういう自分の中の苦しい部分、煉獄的な苦しみの部分の釜の蓋を開けてしまったのだけれども、同時にその苦しみから逃れる、その苦しみがあるがゆえに至高の美しさに至る道もまたあるということを教えてくれた。私は読みながら阿字野の苦しみに共感し、修平の悩みに共感し、カイの飛躍に感動し、パンウェイの責め苦のような人生に自分の人生の苦しかった部分を反映させる。

そして苦しいときにそこから脱け出すために「心を正常に戻す」。心を正常に戻したら、人には必ずやりたいことがある。私の場合は、文章を書くことだ。苦しいときには苦しいことを書いてもその苦しさを描ききることはできない。正常なときに書くからこそ、苦しさをすべて表現することが出来る。苦しいままに自分の感じていることをストレートに書いてしまっても、それは本当の私の文章ではないのだ。


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