3315.本棚の化学反応/「ラ/カンパネラ」(09/02 16:20)


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月曜日は台風だったので、ほとんど外出できなかった。遅くなってから駅前の書店とコンビにまで行ったけれど、日本橋や銀座には出ずじまい。日曜月曜に全く電車に乗らなかったのは初めてかもしれない。本棚の整理をだいぶ進めていて、全集とかシリーズ物を全部取り出してまとめて並べ、余った棚に単行本を並べるというふうに考えてやっている。単行本も、普段はジャンルごとに並べているのだが、今回はジャンルに関わらず――マンガと文学だけは分けて並べているが――出版社順に並べてみることにした。そうしてみると、出版社ごとのカラーがよくわかるし、よく知らない出版社の本を結構持っているということもわかる。その出版社の新書や文庫をたくさん持っていても単行本は持っているとは限らないし、単行本だけがたくさんある出版社もある。新潮社は文庫も単行本もかなりあるが、みすず書房は単行本だけたくさんある。本屋でも図書館でもジャンルごとに並んでいるけれども、自分の本棚では出版社ごとに並べるというのはアリかも知れないと思った。

本棚というのは、本の並べ方によって、隣り合ったものどうしが反応して新しい印象が生まれることがあり、そこから新しい発想が生まれたりする。それまで一定のイメージで見ていた本に対して、別のイメージからの見方を示唆してくれたりする。本というものは一冊だけで存在するのではないんだなと思う。大きな知的世界の中の一分子。並べてみるととてもそこに並べられない、弾き飛ばされてしまうような(内容が)貧相な本もあるし、並べ方の妙で奇妙な異彩を放って見せる本もある。本というものは光の当て方で見え方が全然違うのだなと思う。

今までは部屋ごとに東側の部屋には日本史関係、西側の部屋には西洋史関係、その他、別の部屋にはマンガ、文学、というように分けていて、自分の中の奇妙な溝にそれぞれ対応していたのだけど、ジャンルを混ぜてシリーズや出版社ごとに並べてみると、あまりごつごつせずきれいな知的世界を形成しているように見えてくる。もう一度読み直したくなる本、もう一度聴きたくなる音楽、というものがあるけれども、本棚も何度も見渡したくなる本棚というものがあるはずだ。今のつくり方はだいぶそういう感じがしてきた。全部並べ終わってからもまた少しずつ本棚をいじって、本棚を活性化させた状態で使えるようにしたい。

火曜。山麓で早くに用事があったので、新宿10時の特急に乗るために9時前に家を出る。この時間だと丸善も開いていないし、出発前に用事を済ませられない。だから月曜日に出かけたかったのだが、台風だった。しかし、そのおかげで余計なお金を使わなかったともいえるかもしれない。東京駅で弁当を買って新宿で乗車。今回は『ピアノの森』のショパンコンクール一次で選曲された曲を演奏者ごとに順番に聴くという野望を持って、プレリュード、エチュード、バラード、スケルツォ、ワルツ、ノクターンのCDを全部持参。しかしさてスケルツォを聴こうと思ったら、このCDの中身がない。東京の自宅のプレイヤーの中に入れっぱなしにしてきてしまったのだ。やれやれ。

<画像>フジ子・ヘミング こころの軌跡(CCCD)
フジ子・ヘミング
ビクターエンタテインメント

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一番最近聞いたのがノクターンで、それを繰り返し何度か聴いていたので、ノクターンの3番はかなり覚えた。あたりまえだが、聴けば聴くほどピアノ曲も覚えていく。しかし、リストの「ラ・カンパネラ」がどうも覚えにくく、何度聴いても頭の中で冒頭が出てくるようにならなかったので、フジコ・ヘミングのテープを聞いて、オクターブの多用が頭の中で出てきにくい原因だということに気づいたら、あっという間に頭の中で鳴るようになった。

特急を一駅手前で降りて山麓へ。しばらく話をして、帰宅。一休みして職場に出る。インフルエンザが流行っていてその対策について少し話す。チラシの話も進める。仕事は10時まで。それなりの忙しさ。夜はどうも疲れが出てしまって、パジャマに着替えないうちに寝てしまった。夜中に起きて着替えてもう一度寝たが、そのせいか起きた後右も左も肩が凝っていて困った。

テレビでは政権交代の余波のニュース。しばらくいろいろあるだろう。私は私の文章を書く。


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