3314.養老猛『バカの壁』を読み直す(09/03 20:11)


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<画像>バカの壁 (新潮新書)
養老 孟司
新潮社

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昨日。ふと目についた養老猛『バカの壁』(新潮新書、2003)を読み直す。この本は出たときに読んだのだが、言ってることは面白いような気がしたのだけどどうもなんだかぴんと来なくて、気になるまま放置していたのだが、昨日ふと読み直してみて実はかなり自分にとっていろいろな意味で重要なことが書いてある本だということがだんだんわかってきた。

本質的な部分で私は勘違いしていたのだが、この本は何か面白いことが書いてある雑学の本なのではなく、現代の日本社会におけるいくつかの根本的な問題点を指摘している、問題提起の本なのだ。問題といっても一つではないから、問題群の提起、といった方がいい。その提起された問題に対する著者の答えはそう明確に書いているわけではない。たとえば、養老は二酸化炭素が地球温暖化の原因だとする現在有力な説に疑問を呈している、というか否定的な見解をいろいろなところで示しているけれども、この本では二酸化炭素原因説が一つの説であるということを明確にしようとしている。この考えが「事実」ではなく「説」だということをはっきりさせないと危ないというのは、これが「事実」だと考えてしまったらほかに原因があるのではないかということを考えなくなるし、もしこの説が間違っていたことが判明した場合に国の政策として整合性に問題が出てくる、ということだ。そういうところで思考停止に陥ってしまうこと、そういう思考停止の原因になることはいくつかあるわけだが、そうした思考停止が立ち上がってしまうことを「バカの壁」と表現しているわけだ。

養老はいろいろな思考停止の実例について述べているのだが、その中には私が感覚的にはおかしいなと思いながら思考ではあまり詰めてなかったことがいくつもあり、読みながら私は自分が思考に対する姿勢が甘いところがあるということに気づかずにはいられなかった。

私は、思考と感覚(あるいは感性)では感性の方が信じられる、あるいは信じるべきだ、というテーゼをもっている(ということはこのテーゼが自分にとって人工的な側面があるということでもあるのだが)。そのこと自体が悪いわけではないのだが、ものごとに違和感を持ったときに感覚的な納得の行かなさで止まってしまって、それを思考によって詰めていくということを怠る、むしろ積極的に詰めないようにするところがある。感覚を優先するために、思考で違う結論が出てしまうことを無意識のうちに避けているのだ。

しかし実は、そうしていたために、そういうところが自分を曖昧にしてしまう、見えない壁、見えない国境のようなものを作ってしまっていたのではないかと読みながら思った。つまり本来なら、思考と感性の結論が一致するまで詰めるべきところを、いくら思考しても感性の結論に近づかないために、(感性とか直感とかが結論を変えることはあまりない、というかそれが変わってしまったらまずい、しかしそれが揺らぐことが多いことが自分の自我の危うさに繋がっているということもあるので)思考の方を放棄することがままあった。自分は本当は思考型の人間だということはよくわかっているので、違和感と思考の結論が相違してしまった場合、非常に苦しむことになり、苦し紛れにどちらかを選択して失敗してしまったことがかなりあるからだ。

しかし、感性・感覚を重視することと、思考をとことん推し進めるということは本来別のもので、両立するはずなのだから、焦って結論を急がない方がいいことは確かなのだが、納得するまで考えた方が得るものが多いということを改めて考えさせられた。(そのためには上手に心の中で棚上げしたりペンディングしたりする技術が必要なわけで、それは若い頃に比べればだいぶできるようになってはいるが、なかなかうまく行かないことは今でもよくある)

しかし養老が提起しているそれらの問題はかなり根本的なもので、私もちょっとびっくりするくらい大きな問題に行き当たって戸惑っている面もある。


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