3308.リパッティに驚く/『バカの壁』再読(終):人生の意味(09/08 06:58)


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やはりどこか、私自身も学問というのは技術だ、と思っていた面があり、それはどうにも考え違いだったということは認めざるを得ない。学問というのは精進なのだ、今更言うまでもないのだけど。だから一生それに精進できる、「人生の意味」をそこに見出せるかどうか、ということなんだろうと思う。

アウシュヴィッツでの収容所体験を書いた『夜と霧』の著者であるフランクルは、「人生の意味」について考え続けたそうなのだが、彼が70年代にウィーンの大学にいた際、アメリカからの留学生の60%が人生は無意味だと考えていたそうだ。ドイツ系諸国からの学生はそう考えていた人は25%だったそうで、若い麻薬患者の100%が人生は無意味だと考えていたそうだ。のりピーはどうなのだろうか。

人生をマニュアルで乗り切ろう、という考え方の裏には、人生が意味あるものだという思想があるようには思いにくい。生きてるから仕方ないからせいぜい要領よく生きたもんがちだ、という考え方だろう。楽しければいい、楽ならなばいい、ということかもしれない。

そういう考え方には、やはり危険なものを感じる。自分の人生に意味を見出せなければ、他人の人生にも意味を見出せないだろう。人を簡単に陥れたり、傷つけたりしても痛痒を感じないような気がする。

私自身、人生の意味をよく理解しているとはいえないところがあるが、しかし人生が意味のあるものだということ自体は、恐ろしいほど分かっている感じがある。それは、最近の自分の置かれている状況とも関わりがあるのだが。「人生の意味」とは、つまり、人はひとりで生きているのではない、ということにあるのだと思う。人は仕事をしたりいたわりあったり、あるいは競争したり対立しあったりして、広い意味で助け合わなければ生きていけないし、人間集団というものも存立していかない。人が生きる意味とは、人間集団を存立させていくという意味だろう。それはたぶん、本能的なもの、自分が生きることそのものに意味があるのと同様、人間集団を存立させることに貢献することが人の生きる意味ということなのだと思う。

生物的な再生産を実現することで、つまり親になることで、個体としての生物の義務を果たしたという安心感が生まれる、のではないかと思う。私は人の親になったことはないのでよくわからないが。それは自分としての、個体としての延長を手に入れることでもあり、種としての延長を手に入れることでもある。

そういう生物学的な次元に留まらず、人間にとって、人間集団を存立させることに生きる意味があるのだと思う。つまり、「人のために働く」「人に何かの影響をあたえる」ということだ。もちろんもっと複雑な意味づけがある場合もあるけれども、究極はそういうことなのだろうと思う。生きているだけで、人に生きる意味を考えさせる存在もある。

フランクル自身も、「他人が人生の意味を考える手伝いをする」ことが彼自身の人生の意味である、と考えたのだという。それはなるほどと思う。彼がアウシュヴィッツの生き残りであると言うことはそういう意味である種の特権を持っているとも言えるが、そうでなくても、人に何かを教えるということは、究極的にはそういうことだと思う。

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私はなんだかものを考えることに熱中してしまってなかなか行動に移さないところがあるのだが、それはどうも前頭葉の働きすぎと言うことではないかと第6章を読んでいて思った。前頭葉は行動に対して抑制的に働き、たとえば「キレる」という現象や、衝動殺人などは前頭葉の働きが不十分な場合に起こるのだという。私は考えすぎて前頭葉が機能不全になることがあるような気がするが、基本的には確かにそうだと思う。逆に、なんにでもすぐやる気が出てしまうのは、扁桃体が活性化しすぎている現象なのだそうで、自分の周りにもそういう人はいないことはないので、それはそれでよく分かる。連続殺人を犯すような人は行動を起こさずにはいられないわけで、でも前頭葉は働いているからちゃんとブレーキも使いつつ破綻しないように殺人を続けるのだそうだ。

要するにそういうことは、社会の問題とか教育の問題という面も簡単に否定はできないが、生理的な側面が強いということだ。これは野口整体の体癖の考え方にもつながっていて、前頭葉働きすぎタイプが上下型、働かないタイプがねじれ型、扁桃体働きすぎタイプが前後型と左右型、はたらかな過ぎタイプが鈍感型いうことになろうか。いやこれだけで上手く整理はつかないが。

こういう脳の働き方についても、きちんと調べるべきだというのが養老の意見で、それは一定その通りだと思う。そういうことをタブー視することで、知見が不足している面は確かにある。

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情報が流転して自己は不変だと錯覚するのは一神教的な誤りなのだろう。日本は昔はそうではなかったが、だんだんそういう傾向が強くなっているのだと思う。


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