3304.『超バカの壁』:「仕事というのは、社会に開いた穴です。」(09/12 13:11)


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今でもそうだが、自分の力で出来ることなど本当に限られている。本当に深い穴は埋められないなあとも思う。

何がやれるか、ということは結局やってみなければわからない。そういう意味ではいつも試行錯誤の連続だ。組織というところは、決まりきったことをある程度はやらなければならない。もちろん、その決まりきったことというのがもともとある穴を埋めるのに一番いいやり方だとして考えられたことであるわけだけれども、組織が大きければ大きいほど融通がきかず、臨機応変にできない。人によっての意識の差というものが組織を動かすときには大きな問題になる。上意下達的な組織であれば上の方針が正しければある程度の成果はあげやすいが、なかなか下の創意工夫は生かしにくい。フラットな組織であればそれはやりやすいかもしれないが同意を取り付けるのに苦労したりする。個人でやれば組織の問題はないが、安定してやっていくのが個人にかかってしまうのでそういう負荷が大きい。仕事のやり方もそれぞれに一長一短で、いろいろな問題がある。

お金になる仕事もあるしならない仕事もある。自分のための仕事もあるし社会のための仕事もある。もちろん自分のためにならない仕事もあるし社会のためにならない仕事もある。そういうものはなるべくなくした方がいいが、それをなくすための仕事がまたできたりして、仕事の世界は巨大だが、考えるべきことはまず仕事が先にあるのではなく、穴が先にあるのだ、ということだ。その穴を埋めるために仕事があるという考え方は、仕事に対する基本的な考え方としては正しいのではないかと思う。

そういう意味では、社会にどんな穴があるのか、いろいろ勉強し、経験しなければどんな仕事がどんな意義を持って存在しているのかも理解できない。社会科の勉強的な意味に限らず、社会に関心を持つということは、自分の仕事を考える上でも重要なことだ。

そして、重要なのは、自分自身のことも若いころはよくわかっていないということで、わからない自分をわからない仕事にマッチさせるのは宝くじのようなものだということだ。就活マンガを読んで思ったが、就職活動というのは結局そういう形で社会を知るための活動でもあり、また自分を知るための活動でもある。自分がいろいろな会社でどう評価されるかを知るということが、自分がどういう人間かをしるための重要なステップになっているということなのだろう。

アメリカなどで若い頃に職を転々とし、それで天職に出会う、というのもそういう意味では理にかなっている。日本の古いシステムのように、小さい頃からそういう仕事につくものとして育てられて、そういう仕事に取り組むというのも、ある意味理に適っている。ただ、その人が社会のいろいろな相に対していろいろな関心をもっていれば、他のことも試してみたいと思うのはよくわかるけれども。

仕事を考えるのは、だから自分のしたいこと、とその穴が一致していればそれでいいのだけど、したいことを考えるだけでなく、というより考えるよりも、社会の穴の方をみているうちに見えてくるものがある、ということではないかと思う。

そんなことを考えた。


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