3300.リパッティに驚く/『バカの壁』再読(終):人生の意味(09/08 06:58)


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ということばはそうだなあと思った。説教、ということになると、私も相手と話していて、こんなこと言わなくてもわかっていると思うけどなあ、と思うレベルのことを話しているとちょうどいいことが多い。相手の反応が悪ければ、簡単すぎたと思うよりも、もっと簡単なこと、あるいはもっと基本的なこと、もっと原則的なことが分かっていない、伝わっていないと思ったほうがいい場合が多い。こちらにとっては当然の前提となっていることが、相手が理解していないことは意外と多い。

学者の研究と言うのは確かにどこまで理解できるかと言うことを追究することで、それは意識レベルのことだ。学問というのは万物流転の現実の世界を、いかに情報という変わらないものに変換するかという作業だ、というのはその通りだと思う。最近の研究者の中には情報のレベルのものを弄ぶのは得意でも現実レベルに接するのが不得意な人が多い、それは自然に、現実レベルに接することが足りない、それを愛することが足りないからだ、という指摘はそのとおりだし、耳が痛い部分もある。まあその結果理解するのは意識の力で、まあ言えば理解したら終わりなのだから、そういうものを使って人がどのような欲望を働かせるかと言うことにはあまり敏感ではないと言うのも事実だ。

説教する側が相手の現実を把握していないと相手に伝わらないのであるけれども、物を教える側、あるいは説教をする側は、相手の「自然」の部分が十分に分かっていないことがほとんどで、それは説教する側がある種の禁欲を自分に課してしまっているので、それを禁欲していない相手にはなかなか同じレベルでは話が伝わらないということもあるのだと思う。

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この本の内容、何とかまとめようと思って書いてきたが、やはりなかなか一筋縄ではいかない。まあ最初に書いたように問題提起自体がテーマなので、それをどのように受け止め、どのように考えようとしたのか、その足掻きみたいなものを書いたのは、それはそれなりに意味があると思うけれども、まあ何だかあんまり読んで面白かったりよくわかったりする文章には出来なかったなあと思う。今のところ、残念ながらこの本に対する理解度はここまでだということなんだなと思う。

前にこの本を買ったときにどんなことを書いたのか昔の文章を検索してみたが、買ったということは書いてあったけどその中身については全然書いてなかった。そのときは本当にピンと来なかったんだなあと思う。それに比べれば多少はましにはなったと思うけれども。実際この本、なんか大事なことが書いてあるという「感じ」は前からあったのだが何が書いてあるのかなかなか読み取れない、という感じがあった。もともと語り下ろしの形式なので話が前後したり挿入されたりしていて「まとめる」ということ自体が難しい部分もある。結局はある種の思想書なので、この本をまとめようとすることは、「『意志と表象としての世界』を読む」みたいな本を一冊書くのと同じようなものかもしれない。


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