3300.リパッティに驚く/『バカの壁』再読(終):人生の意味(09/08 06:58)


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銀座に出かけて、山野楽器でアシュケナージのポロネーズ集を買ったのだが、もう一枚を小品集にするかディヌ・リパッティのワルツ集にするか迷ったのだけど、結局リパッティにした。今聞いているのだけど、これが物凄くいい。最近の他の演奏がなんだか小賢しく聞こえる。ホロヴィッツですら。リパッティは33歳で白血病で亡くなったそうだけど。ミスタッチもあるのだけど、そんなこと問題じゃないな。特に作品34-2のゆっくりした演奏。ちょっと度肝を抜かれた。他のアルバムも、できればLPも、聴いてみたいと思う。

<画像>ショパン:ワルツ集
リパッティ(ディヌ)
EMIミュージック・ジャパン

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アシュケナージのポロネーズ集は5番がカッコいい。『ピアノの森』では、ソフィ・オルメッソンもパンウェイもこの曲を選ぶ。CDの解説でも最も男性的な傑作、と書いてあるが、とにかくかっこいい。

<画像>ショパン:ポロネーズ集
アシュケナージ(ヴラディーミル)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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<画像>バカの壁 (新潮新書)
養老 孟司
新潮社

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養老猛『バカの壁』再読。一応これで終わりにしようと思う。

なんだかいろいろまとめにくいのだが、『バカの壁』が立ち現れる原因は、現状に即した常識的な判断よりも思い込みに近い「理論」を疑わないで適用することによって起こる、ということだといっていいと思う。日本はもともと理論よりも「常識」を重視する社会で、思い込み的な理論に走る人たちを苦笑まじりに見つめる文化だったはずなのだが、最近はいろいろなよく考えると偏りのある理論を無意識のうちに刷り込まれてしまっていて、それがおかしいということにさえ気づかない、気づかないのだからその壁は越えられない、と言うことになっているといっていいのだと思う。

その典型的な例として上げられているのが「個性尊重」の理論で、「個性が大事だ」と思い込まされることによって起こっている弊害について3章で書いているのだけど、4章ではそれが起こる原因について、本来「人間は変化するが情報は変化しない」のに、それが逆になって、人間が「変化しない個性を持っている」と思い込んでしまっているためだ、と説明している。

言葉は意識が共通化や自己同一化をするための現われで、言葉には違うものを同じものと見做す統合機能がある、という指摘はなるほどと思う。つまり意識は、違うものを見て同じものと見做す働きを持っているということだ。これは人間が世界を認識する上でとても重要なことだろう。「同一視」と、それに類した関係性の近さ・遠さを認識する力は、世界をまとまりのあるものとしてとらえる上で非常に重要なものだと思う。そしてそれは言語によって表現することが出来る。言語によって初めて世界は立体的に認識できるといってもいいのだろう。このあたり、KJ法の考え方の根底にあるものが上手く理論的にも説明されているように思った。


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