3298.『ローマ人の物語 最後の努力』読了/本当に幸せだから/情報と人間とか、生きる意味とか(09/10 15:41)


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信州は、朝夕がだいぶ寒くなってきた。今朝の気温が11度。9月上旬とは思えない気温だ。日中はそれなりに気温が上がるのだが、寒暖の差が激しい。このところよく晴れているので、昨日は放射冷却が起こったのだろう。空気もだいぶ乾燥してきていて、季節の変わり目の風邪を引いている感じの人をよく見かける。

<画像>ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)
塩野 七生
新潮社

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塩野七生『ローマ人の物語』35〜37巻「最後の努力」(新潮文庫、2009)読了。

この巻は、ディオクレティアヌスの統治とコンスタンティヌスの統治、その間のコンスタンティヌスが権力を獲得していく過程について書いている。ディオクレティアヌスは引退後の悲惨な状態がすごく印象的だが、コンスタンティヌスのマキャベリスト的ななりあがり方も面白い。また、コンスタンティヌスがキリスト教ヨーロッパを築き上げる上でかなり決定的な役割をしたということもよくわかった。キリスト教にこれだけ熱心な皇帝はローマ史上初めてだし、彼はもうローマ皇帝ではない、という主張もわかる気がした。彼は最初の中世人だとも言われているそうだが、確かに彼のあたりでメンタリティの変換が起きているのだなあと思う。

こういう専制君主的なメンタリティがどのようにして形成されてきたのか、そしてそれがディオクレティアヌスの先例があるとはいえどのようにして受け入れられていったのか、ローマは時に応じてその政体を変えていったけれども、この変化が適切なものだったのか、それとも時の流れが否応なくそうしたものなのか、いろいろ難しいというか、考えさせられるところがある。

いくつか面白い点があるのだが、一つはディオクレティアヌス以降、コンスタンティヌスに至るまでの幾人かの皇帝がみなイリリア、ダルマチアの当たりの出身だということ。ゴート族とかの侵入に対抗するバルカンの兵士群がその当時最前線の優秀な軍人たちの供給源になっていたということだろうか。これは、南北朝時代の中国の北周・隋・唐の皇帝やその支持基盤がみな山西の武川鎮軍閥の出身だった、という話を思い起こさせる。中世帝国を作る人材の供給源が、わりとよく似た場所だというのは興味深い。古代が滅び、いまだ新しい秩序が成立していない時期の人材は、こういう周縁あるいは文明と野蛮の最前線から輩出するということだろうか。

ディオクレティアヌスは主人公にした小説を書くのはわりと難しそうではあるが、(晩年の悲惨はある意味想像力が膨らみそうだが)コンスタンティヌスは面白そうだと思った。

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