3294.雑事雑念/登場人物に不親切な描写/自分の世界を観測する(09/14 19:51)


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<画像>三教指帰 (中公クラシックスJ16)
空海,松長 有慶
中央公論新社

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地下鉄で日本橋に出て、丸善のカフェでハヤシライスを食べる。本を少し物色したが欲しいと思うのがなく、ぶらぶらと東京駅のほうへ。八重洲ブックセンターの一階を冷やかし、内堀通りを南下。通りを渡って国際フォーラムに出て、有楽町そごう跡のビックカメラでDVD機器を探すが、結局ヤマダ電機で見たのと結論は変わらず。東京羊羹を探したが見つからず。(今ネットで見たら喫茶室は閉鎖されたらしい。残念)教文館まで歩いて本を物色。暮らしの手帖の編集長の本がちょっと面白いかなと思ったのだけど、結局買わなかった。買ったのは空海『三教指帰』(中公クラシックス、2003)。考えてみたら空海の著作というのはちゃんと読んだものがない。この本も、分厚くて骨が折れるかなと思ったが、中身を見てみると本文より注釈のほうが10倍くらいありそうだったので、本文だけならわりとすぐ読めるかもしれないと思った。空海は本当に幅広く活動した人で、単なる求道者ではなく思想家や文化リーダーの顔も持っていたから、その著作も多岐に渡り、内容も豊富なようだ。時々こういう古典に触れて見るのは楽しい。日本の古いものは、わりと読みにくそうに見えるけど本当はそうでもないものが多い。特に現代語訳してあればなおさらだ。

教文館の4階のカフェで一服し、松屋の地下で銀ムツの照り焼き膳を買って帰宅。

『三教指帰』の解説を読む。空海の思想は幅広いので、四つの観測点を設けてそれを足場に彼の思想を探る、ということをいっている。伝統の継承、密教の理論化、密教の綜合性、対社会活動の四つである。それを読んで、ああ、空海も「やりたいこと」というのが一つではなかった人なんだなあとなんだかわかった気がした。「やりたいこと」とか「やるべきこと」というのを一つに絞らなければならないという思い込みがずっと強くてそれがイヤだなとずっと思ってきたのだけど、むしろそう考えるのではなく、自分の世界をとらえる観測点のようなものをいくつか考えて、それを足場にいろいろなやりたいことをやっていくと考えたらいいのではないかと思った。そのときそのときはそのときやっていることに全力で取り組まなければいけないということはあるにしても、自分の世界の中の今どのことをやっているのかということは考えればわかるようにしておくことが大事だと思った。そんなことに今更気がつくなんて、なんだか本は読んでみるものだと思う。


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