<画像> | ピアノの森 15 限定版 (プレミアムKC)一色 まこと講談社このアイテムの詳細を見る |
『ピアノの森』を読む。このマンガを読むと、本当に心の深いところで落ち着く。逆境に鍛えられた才能。谷が深ければ深いほど峰は高い。何というか、このマンガは『大菩薩峠』のような、曼陀羅的な世界なんだと思う。仏陀とその弟子、仏陀さえも目覚めさせる弟子。多くの居並ぶ仏たち、仏弟子の群れ。地獄の一群。鬼たち。奇しくも阿字野のピアノがパンウェイの蜘蛛の糸だった、という記述が先週号にでていたが、そういう地獄と極楽を鳥瞰する世界。天上の音楽と地獄の境遇の落差の激しさ。
ダンテの神曲に感動した、その同じものが『ピアノの森』にはあって、私を感動させている。そういう地獄の深さと天上の明るさの圧倒的な落差、めくるめく落差が、私の魂を揺さぶるのだ。
今まで本当の意味で感動した作品というのは、皆そういうものかもしれない。地獄か天国のどちらか、あるいはその両方を表現したもの。マンシェットはロマン・ノワールの旗手だと言うが、そう言うものが読みたいのだ。暗黒の深さを淡々と、むしろ戯画的に描き、天上の貴さをきらびやかに、技術の限りを尽くして描くこと。そういう作品が書かれなければならない。
作品は書くものではなく書かれるものだなと思う。自分が書くというより、その作品を書く担当が自分になったという感じなのだ。
明と暗の強烈なコントラストに目を奪われるところが私にはある。そういうものを表現したい。暗さの中の明るさ、明るさの中の暗さ。いや、やはり暗さの中の明るさをいかに表現できるかだな。明るさの中の暗さは退廃。暗さの中の明るさは希望。退廃と希望と、両方描けなければならない。絶望の虚妄なること、希望もまた同じいと魯迅はいった。花岡敬造は絶望と希望の三部作を書いた。
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私は「苦しみ」を知っている。
私は「暗さ」を知っている。
それは私の外にあるのではなく、
私の中にあるものだ。
美がわからない人にはわからないように、
苦しみもわかる人にしかわからない。
経験も知識も越えたところで、
知る人と知らない人がいる。
苦しみも暗さも、
私を羽ばたかせる翼になる。
人が知らないものを知っているということは、
人が知らないパワーの源を
私が持っているということだ。
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逆境はお前を後押ししてくれる。
怒りや悲しみのエネルギーは、
そのままお前のパワーになる。
必ず!
(『ピアノの森』より)
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ショパンのノクターン3番が、頭の中で鳴っている。
ショパンが美しいのは、絶望と希望の音楽だから、天国と地獄を知っている音楽だからなのだと思う。