3292.暗黒小説/悩みと苦しみ(09/16 15:44)


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昨日帰郷。ここのところ、帰郷後に山麓に顔を出すようにしているので、今まで新宿12時の特急に乗っていたのだけど、ここのところは新宿10時の特急に乗っている。家を出るのは9時少し前。わかったのは、この時間は案外電車ももう空いているということ。さすがに座ることはできないが、他の人と接触しないで立っていられるのは気が楽だ。東京駅で久しぶりに少し高めの弁当を買う。特急は、12時のなら窓側の席で隣の人なしで座れるのだが、10時の特急はわりと人が乗るので、昨日は通路側の席になった。12時だとほぼビジネス客で車内も静かなのだが、10時は観光客もそれなりにいて、いつもさんざめいている。昨日はそれほど気になることはなかったが、気になることもときどきある。

<画像>愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える (光文社古典新訳文庫)
ジャン=パトリック マンシェット
光文社

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特急の中で、最初はずっとツイッターやミクシイや携帯百景をいじっていて、一通り満足するまでやってから、マンシェット『愚者(あほ)が出てくる、城塞(おしろ)が見える』を読む。この原題は"O dingos, o chateaux!"で、ランボーの『地獄の季節』の一節、"O saisons, o chateaux!"「おお季節よ、おお城よ!」という文句のもじりなのだそうだ。中原中也がこのランボーの詩句を「季節(とき)が流れる、城塞(おしろ)が見える」と訳しているそうで、訳者の中条はそれをもじって上記の題をつけたのだそうだ。その良し悪しはやや謎だが、まあ意図はわかった。

現在80/229ページ(小説本文のみ)。昨日、ヌーヴェルバーグの映画みたいだということを書いたけれども、マンシェットはフィルム・ノワールならぬロマン・ノワール(暗黒小説)のリーダー的な存在なのだそうで、なるほどこういうのをロマン・ノワールというのだなあと思ったが、世界の暗さをものともせず機知を武器に気を吐き続ける人間たちの生命力とでもいうか、そういうものが描かれているのは得がたいもので、なかなかほかに類例がない。ディケンズとかバルザックとかもそういうものかもしれないのだが少し時代が違いすぎてよくわからないのかもしれない。ものすごく面白いのだが、一度に読むのはハードなので少しずつ読んでいる。

帰郷後山麓に行き、帰ってきて仕事、夜10時まで。

***

昨日作った「私の世界の定点観測点」の図を見ていると、いったいいままでの私の悩み、内面の葛藤というのは一体なんだったのか、という気がしてくる。私の世界の中で、この悩みや葛藤というのは一体どこにいるのか。

本当は、そういうもの、感情の動き、内面の苦しみ、喜び、迷い、不安、そういうものはすべて、定点観測点に描いたような器の側のものではなく、器の中身なんだと思う。そんなにいい中身かどうかは別にして、器そのものではない。

今まで自分は、その中身に合わせた器を作ろうとしていたんだと思う。でも、器の側はそういうものと無関係に存在するので、ちょうど合うものがなく、いつも零れ落ちてしまう。でもときどきはちょうどいい器が現れるのだけど、それを創作にまで結びつけることはなかなか出来なくて、入り口はあっても出口はない迷路みたいな感じになってしまっていた。

そういうものは、やはり創作にかかわるものなんだと思う。昨日書いた、人生論とか創作のときに、考察や観察や描写の対象になるものなのだ。だから、そう言うものもやはり間違いなく自分の世界の一部だ。そして、それは本当はそんなに大きな一部ではないんだなと言う気がする。


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