2957.リンパ節/オースター/コンピュータと人間の文化の違い(09/11 13:07)


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涼しい時間が長くなってきた。私は火曜から土曜まで昼から信州にいるということもあって、東京にいるときに比べるとしのぎやすい時間は長いのだが、それでもこの夏は相当耐えた感じがある。だから涼しくなって来ると、少し疲れが出て来たのを感じる。今も少しぼーっとしていて、こういうネタからしか話が始められない。

昨日ネットで「リンパマッサージ」というものを調べてみた。前から名前は聞いたことがあったが具体的にはよくは知らなかった。ただ以前から、調子の悪い時に肩の鎖骨窩に愉気をすると少し和らぐことには気がついていたので何かあるとは思っていたのだが、そこにリンパ節があるということは昨日初めて知った。耳の下(耳下腺)や首筋、ソケイ部にリンパ節があることは知っていたけど、腋の下や膝の裏、足首にもあるということは知らなかった。だいたい窪んでいるところにはあるということだろうか。確かにそのあたり、疲れがたまりやすいところでもあり愉気すると気持ちがいいところでもある。ちょっと調べてみても面白いかと思った。

昨日は仕事の本を買いに隣の隣の街の少し大きな書店に出かけたのだが、ついでに何か読もうといろいろ探してみた。オースターがもう少しで読み終わりそうだったので何か小説をと思ったのだがこれというものはなく。ただで知ったのだが、『ガラスの街』と以前読んだ『鍵のかかった部屋』は、『幽霊たち』とニューヨーク三部作をなしているということだったので、『幽霊たち』をまた読んでみようかなとは思った。それにしても最近柴田元幸の文章ばかり読んでいるので、少し離れたいとは思うのだけど。

ということでターゲットを小説だけに絞らず他の本も探してみたら、羽生善治・茂木健一郎『自分の頭で考えるということ』(大和書房、2010)というのがあった。立ち読みして買うかどうか少し迷う。羽生の本はまず面白いのだが、茂木の本はよくわからないことが多い。それを足して二で割るとどうなるのか。羽生も仕事がら「向こう」に行ってしまう一歩手前まで行くというようなことを言っているが、茂木も相当向こうまで行ってしまう人なので、そのあたりが。ただこの本は基本的に羽生のこと―特に将棋のこと―を茂木がたずねると言う作りになっているので多分分かりやすいだろうと思い買ってみた。最近かなり小説脳になっているけど、たまには違うものでアップトゥーデートのものを読んでみた方がいいとも思ったので。

書店からの帰り道、行きは湖畔側の道から行ったのだが帰りは国道で帰ろうと思って行ってみたらこれは失敗だということが分かった。市の中心部に出てしまい、信号が多くて長い。右折信号がない。これなら素直に湖畔側から帰ればよかったと思った。少しは道を理解したのがプラスになったかもしれないが。

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<画像>ガラスの街
ポール・オースター
新潮社

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オースター『ガラスの街』読了。うーん、面白いといえば面白いがよくわからないといえばよくわからない作品だった。うーん。ドンキホーテの作者は誰か、というような知的な謎解きをしかけて、この物語の構造全体を読者から煙に巻こうと言うか、そういう感じが面白いといえば面白いか。この小説を完璧に面白がるには私は、そのあたりの「文学史的な教養」が少し足りないなとは思った。ミルトンの失楽園から壮大なウソ話を作り上げるところとかも、ピューリタンの国アメリカではかなり常識的な部分なのかもしれないが、外国人である私には少し縁遠い、というところがあった。そういうものをエキゾチズム的な面白さで面白がるには少し知的過ぎるし、また私自身が若くない。そういう意味で少し不完全燃焼的な感じはあった。背景があまりなくてもおもしろがれる作品ではない。考えてみれば比較的そういう種類の小説であるレベッカ・ブラウンの作品だって、「アニーよ銃を取れ」とかを知らないとわけがわからないものだってあるのだし、やはり小説というのは背景があって成立しているものだなと改めて思う。ある意味現実のコピーだという一面がある。


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