25.川勝知事の「差別発言」と、日本が「雑兵が主人」であり「信仰されないと朽ちていく弱いエリート」の国であること(04/03 09:46)


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しかし、彼はそういう愚直すぎる性格と、何よりも彼自身の息子を二人とも戦死させているという犠牲を払っていることで、庶民から無限の尊敬を得ていたわけである。また、「主君」である明治天皇の崩御に際し、夫婦で殉死したというその真面目さも大きいだろう。

ただそういう態度は後の時代に必ずしもいい影響を及ぼしたとは思えな感じはあり、太平洋戦争の終戦の際に陸軍大臣阿南惟幾が腹を切ったのも乃木の影響は大きかっただろうと思う。

乃木の影響は軍人だけでなくある種の時代精神にも影響を及ぼし、例えば夏目漱石の「こころ」では自分の心の始末の付け方に困っていた「先生」が明治の精神に殉ずるという形でみずからの過去の行状に決着をつける、みたいな話を書いているわけである。

まあこの話の「先生」は大家の老婦人の娘をめぐって緊張関係にあったKを「精神的向上心のない者はばかだ」というK自身の言葉を彼にぶつけることで牽制してその隙に娘との結婚を申し出るという姑息な手段を使い、結局Kが自殺してしまったことでどうしようもない罪の意識に囚われているというとんでもない話なのだけど、それが何十年にもわたって高校の現代文の教科書に掲載され続けているというのは、一つには日本人の精神性に非常に馴染むところがある話だからなのだろうと思う。

乃木大将の殉死というエリートの自己犠牲的な出処進退のあり方と、みずからの心の落ち着く先を求めての「先生」の自殺を延々と日本の中等教育は題材に取り上げ続けたわけである。それは「先生」が属する「エリート」の階層に対する無言の批判にもなっているわけである。

他の例を挙げれば「山月記」もずっと取り上げられている作品だが、これも「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」で我が身を虎にしてしまい、破滅したエリートの話で、「エリートといってもこんなもの」という批判でもあり、「こうなったらだめだ」というエリートへの教訓でもあって、その辺からも無意識の無言の支持が続いたのだろうと思う。

共通テスト導入の際に「山月記を教科書から外せ」とベネッセと協力関係にあった学者が言っていたことが思い出されるが、要は日本人の心にあるエリート批判的な心性が再生産されることを嫌ったんじゃないかな、という気もしなくはない。

一方で「難しいことがわからない」庶民の代表が信義を守った、という話が「走れメロス」である。これも中学の教科書に数十年間掲載され続けている。メロスも途中あまりの苦難に諦めようとしてしまうが、最後まで頑張って自分が犠牲になるために帰ってきて、悪虐非道な王の心を動かす、ということになる。ただこれもまた、ドン百姓こそが日本の主人、ということから考えればヘロヘロなエリート(太宰もそれに属する)が悪虐非道な「ドン百姓」に認めてもらえる話と読めないこともないわけである。まあ、太宰はそれくらいは屈折している気もしなくはない。

そういうわけで、日本におけるエリートというのは、主人である民の空気をきちんと読んで、その半歩先の進むべき道をきちんと示し、彼らを引っ張っていくような存在が理想なのであって、君らエリートは百姓や労働者とは違うんだぜへヘーンみたいな感じの言い方をしてしまうのはやはり空気がちゃんと読めてないということで罪を負わされるのは仕方ない、みたいなところはあるのかなとは思ったのだった。

そういう「エリートのわきまえ」「エリートの身の程」というものはイギリス流のNoblesse Obligeとはまた少しニュアンスが違うし、儒教的な「徳治」の概念ともまた違う感じがある。イギリスでも中国でも偉いのはエリート、というのがはっきりしているが、日本ではエリートは庶民が「偉くさせてやっている」みたいな感じのところが強いわけである。「先生と言われるほどの馬鹿じゃなし」とかにその感じが現れているが、「敢えて先生と呼ばせてお神輿に乗ってみせる」のが日本のエリートの「あるべき姿」みたいな感じなわけである。

この辺のところは、白洲正子の古い仏を巡礼するエッセイの中で、「日本の仏というのは信仰してあげないと、大事にしてあげないと朽ちていってしまうような弱さがあり、その弱さこそが愛おしい」みたいなことを書いていたけれども、愛されるエリートというのはまあ、そういう弱いエリートなのだよなと改めて思ったのだった。



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