23.ジャンプコミックスを15冊買う/批評家と実作者の間には深くて暗い河がある(04/05 07:47)


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その時に、どう言うものが適切な批評なのかと言うことについて少し考えていて、ちらっと思い出して「日本のクラシック音楽は歪んでいる」に吉田秀和批判があったなと思って少し読んでみたら、モーツァルトの戴冠ミサ曲について「外で遊んで泣かされてきた子が敷居を跨いだと気に「おかあ」と強く叫んだ途端溢れた涙とともに「さん」と言う音を飲み込んでしまったようだ」と吉田が書いていることについて批判しているのだが、まあこの表現は全然違う文脈のものを卑近な言葉で表現していることを問題にしているわけだけど、まあそれがある種の言葉のマジックであることは確かで、そう言う意味では「音楽批評という名の文学」なのだが、そういう吉田の批評が持て囃されてきた日本自体を批判しているわけである。

まあこれは文学として読めば特に問題はないと思うのだけど、「モーツァルトの戴冠ミサ曲」についてのか不足ない批評かといえばもちろんそれはそうとはいえない。なんというか奇を衒った、鬼面人を驚かす類の「ああ、そういう言い方もあるのか」みたいなものであることは確かで、音楽に真面目に取り組んでいる人が読んだら不愉快になるというのはわからなくはないなとは思った。

この本ではジャーナリスト(つまり専門音楽家でない)の書いた音楽批評というものは、本質的に素人がブログで書いている感想と本質的には変わらず、前者は有料だが後者は無料なので前者は衰退している、という発言を取り上げていて手厳しいとは思うがある種の真実をついてはいる。

ただこれは、むしろ音楽批評というものの本質はむしろ「音楽」ではなく「文学」なのだと思えば別におかしくはないのではないかという気はして、吉田の仲間というか大将である小林秀雄の「モオツァルト」が音楽批評というよりは文学として取り上げられているように、そういうものとして評価されるべきなのではないかという気はした。

そういう意味で、批評家と実作者との間に「深くて暗い河がある」ことはまあ確認しておかなければいけないことだよなとは改めて思ったのだった。


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