19.「皇国日本」か「多神教一国文明の国・日本」か。(03/09 08:42)


3月9日(木)晴れ

よく晴れている。今日は3月9日、サンキューの日だろうか。それともスリーナインの日か。いろいろと考えることも多いが、心を澄ませて、また落ち着いていこう。昨日は会計関係の仕事がいくつかあり、税金を払いにいったり記念切手を買いに行ったりなど。毎日こまごました仕事が多い。今日は午前中に松本の整体にいくので時間がないから、なるべく短く。

昨日は主に「思想」2001年12月号の「宣長問題」の号を読んでいたのだが、掲載されている論文の研究者名が子安宣邦氏と桂島宣弘氏で、お二人とも本居宣長にあやかって名付けられたのかなとか思ったりした。

巻頭の子安氏の「「神々の国日本」という言説ー宣長没後二百年にあたって」というのは、森首相の「神の国」発言と、それに対する弁明としての、「特定の宗教に言及したわけではなく、日本は古事記に現れる神々の国だ」という発言に対してのコメント、という感じになっている。

子安氏は同時期に書かれた「つくる会」の西尾幹二氏が上梓した「国民の歴史」の中で、本居宣長の「かみ」という言葉の解説を引用しつつ日本の神はアニミズムの神だとし、「GODを「神」と訳した間違い」では日本は神々の国だから一人の神であるGODとは違う、という論を引用している。

子安氏の批判の論点は、「天照大神以来の万世一系の天皇」が統治するという戦前日本の旧体制の正当性を主張しようとしているのに、肝心のところで「一人の神ではない、神々なんだ」と逃げるのは弁明に過ぎず、おかしいということなのだけど、その批判の部分と、日本は一神教ではなく多神教の国であり、キリスト教文明や中国文明とは違う文明なんだと主張する戦略の存在の指摘の部分がある。

ただ、本居宣長自身は天照大神を一神教的な神としてとらえる方向性を作り出し、平田篤胤以降キリスト教の影響などもあってそれが進められ、それが近代の皇国日本の観念につながっている、と著者は見解を示している。

つまり彼の批判は「皇国日本」という戦前の「一神教的な」理解を「多神教の独自の一国文明」と読み替えながら、戦前の体制自体を否定しないのはおかしいのではないか、ということなのだけど、戦前の体制自体がそんなに一神教的なものなのか、それ自体の検討がないように思われる。

ただまあ、そういう意味で明治体制がさまざまなものの繋ぎ合わせでできているという部分については否定できない、というかある意味当たり前のことなので、そこらの観念的な部分で矛盾が出てくること自体はある意味仕方がないようにも思う。

明治憲法自身がいろいろな弱点を持っていることは確かだし、国の観念や国体論に関しても顕教と密教という概念が存在したり、軍人勅諭や教育勅語、憲法そのものもある意味「政治文書」であって哲学書ではないわけだから、そこらへんのところをどう詰めていくかというのは時代時代によって問題があって、第二次世界大戦=大東亜戦争の際にその辺りの矛盾がさまざまな形で噴出したという事はまあ言えるんじゃないかなとは思う。

このニュアンスだけ読んだら「多神教の一国文明」として日本を捉える捉え方に対して著者は反対してるんだろうなとは思うけれども、それならばどう捉えるべきなのか、ということもここでは示されてはいないので、著者の著作を読む機会があったらその辺も考えてみたいと思った。

まあ日本という存在をどう捉えるかということにおいて、こういう二つのことが提示されているということ自体はなるほどと思ったのだけど、だからどうということにおいては否定的な見解が示唆されているだけなので、これだけではどうなのかなというふうには思った。

この問題についてはまた考えてみたいと思う。

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