17.「見捨てられてきた東ヨーロッパ」と「ロシア×ウクライナ戦争」/日本および日本人への信頼感/江戸時代のサロン的私塾文化と「保守」の醸成(03/11 07:37)


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落語に出てくるような階層よりは少し上の階層の人々、町人やある程度の豪農、僧侶や神官、あるいは江戸詰の武士たちなどの間で、平田篤胤のような私塾を開いている人のところに学びにいくというのは一種のサロン文化であり、そのネットワークは全国に広がっていたという話が面白かった。これは昨日書いた、Wikipediaで調べた話とも共通するのだが、江戸勤になった武士がさまざまな師匠の元を訪れて話を聞いたり友達ができたりしているのは同時代イギリスのティールームの文化であるとかフランスのサロンの文化と共通するものがあるなと思う。こういうのは例えば1920年代のケンブリッジの文化などとも共通しているわけで、オークショットのいう「対話」「社交の文化」みたいなものがそこにあるのだろうなと思う。

国学者と狂歌作者は結構重なる、という話も面白いと思った。つまり共通の文化基盤の上に国学と狂歌が成立していたということなわけだ。

そういう意味ではそういう文化そのものが一つの「保守の基盤」になるのだと思うし、これが現代のSNSなどでも成立するといいのだが、今のTwitterはエコーチェンバーもなくはないが最初から他流試合みたいなところがあって、「都市サロン」というよりは「道場破り」みたいな感じになっている。著名な学者に噛みつきにいく、みたいなことが以前に比べて躊躇なく行われているような感じになってて、その辺りはサロン文化にならないので残念なのだが、そういうのはTwitter以外の場所で目指すべきものなのかも知れない。

この中で寅吉という超自然的なものを見る少年が出てきて、平田篤胤が強引に自分の元に引き取っていろいろと話を聞き出し、ついには「仙境異聞」という著書にまで結びついたというのが面白いのだが、まるで現代のマンガのネタである。この少年が成長後どうなったのかは気になるところだが、篤胤が少年の機嫌を取ろうとみかんを与えたり、一緒に遊んだりするというのが本当にマンガのようで面白いと思った。その「遊び」が現代にまで残る著書を書くためのものだったというところもまたマンガのようである。

明治以降になると「千里眼事件」みたいに結局インチキでした、みたいな話になってつまらないのだけど、コナン・ドイルが「心霊術」に凝ったりするのと同様、面白いというところで止めておいてくれればなあ、みたいな感じはある。まあ謎の少女シンガー森田童子は実はなかにし礼の姪でした、みたいな無粋な暴露が起こってしまう現代でもあるので、虚実被膜というもののある種の貴重さというものも改めて感じたりはするのだが。

こういうのを読んでいると現代に起きている奇天烈なことなども実は何かにつながるものなのかも知れないし、まあそういう意味で世の中は面白いのだよなとは思う。

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もう一つ、鶴岡路人さんと細谷雄一さんの対談が面白かったので書いておきたい。

https://www.fsight.jp/articles/-/49600

今回のロシアのウクライナ侵略に関しては、ロシアの側に原因を求め、ロシアの側の動機を研究する論点がどちらかというと目立っているが、ヨーロッパの側からみてのこの戦争の意味というものについて議論しているのが新鮮だった。

なるほどと思ったのは、「この1世紀、東ヨーロッパは見捨てられてきた」という話。ミュンヘン会談によってチェコスロヴァキアが解体され、ズデーテンがナチスドイツに併合され、第二次世界大戦の勃発とともにバルト三国がソ連に併合されポーランドがドイツとソ連によって分割され、第二次大戦後も東ヨーロッパはソ連の衛星国に編成されることになってしまった。

ハンガリー動乱もプラハの春もソ連の軍事介入を結局は「西側」は黙認し、ソ連崩壊後でさえロシアのクリミア併合やグルジア(ジョージア)侵攻に軍事的に支援するということは起こらなかった。

そういう立場に置かれた東欧諸国にとって、国際法とか国際的な信義のようなものには信頼を持てない、という指摘は全くその通りだと思った。

安全を確保するためにはロシアとの関係を切り、国連に加盟するだけでは十分ではなく、EUに加盟しNATOに加わり、強国と軍事同盟を組むしかないというリアリズムに東欧諸国は走った、というのはまさにその通りだなと思った。そしてウクライナへの侵攻によってスウェーデンやフィンランドもその方向に舵を切ったわけで、まさに彼らは歴史に鑑みて行動を選択している、というのは本当にそうだなと思う。

まだ「鶴岡路人×細谷雄一|「ロシア問題」にどう向き合うか ウクライナ侵攻から一年 #1」しか読んでいないので、#2 #3も読んで感想を書いていきたいと思う。

この戦争をロシア・ウクライナ戦争というべきか、ウクライナ・ロシア戦争というべきかは難しいが、今のところロシアが「攻め」でウクライナが「受け」であることを考えれば(何を言っているのか)「ロシア×ウクライナ戦争」というべきかも知れないと思ったりした。もしこの戦争が「ロシアのウクライナに対する狂った愛情」が原因だと考えてみれば、この命名もある種深い含蓄があると言えるのかも知れない。


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