16.「清く正しくカワイく強い「大谷選手」」に対する「批判」とサウディとイランを国交回復させた「したたかな「中国」」(03/12 06:45)


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ロシアのウクライナ侵攻によってある意味世界の分断ははっきりしてきていて、日本はアメリカや西欧諸国とともにはっきりとウクライナの側に立って援助を行なっているわけだけど、世界では必ずしもそういう国々ばかりでないのは周知の通りである。というのは、アメリカサイドに立つことはアメリカの押し付けてくる「のっぺらしたリベラリズムとその世界秩序」を受け入れさせられるということであり、それよりは不良の自由さおおらかさで自国内では好きにやれるロシアの援助の方がありがたい国が多くあるということだろう。中国はその後釜を強かに狙っている感はあるが、ただ中国は援助自体が紐付きで結局自分たちにとって不利になりそうな感が強くなってきていて、やはりロシアがボスの方がありがたいという国は結構あるのだと思う。

そういう国々は必ずしも自国の秩序が権威主義的ということはないにしても、リベラル化よりは権威主義化の方を選ぶ国々が多くなってきている感はあるわけで、その辺は日本にいたらわからない、少なくともわかりにくい空気感なんだろうと思う。

日本という国の特殊性は、戦前においてはアメリカと戦ったある意味「反米のチャンピオン」であったということであって、特に親米姿勢ははっきりとさせながら戦前日本の継承者視される部分もあった安倍元首相が外交においてさまざまな国と関係を結べたということは大きな意味があったのだと思う。

ウクライナでの戦争が激しい現時点から見ればロシアのプーチンと親しい関係を築こうとしたことは失敗と判断せざるを得ないが、よりグローバルに見れば親米だけでないスタンスを持った日本の政治家としての信頼感はあっただろうと思う。

小山さんや白饅頭さんは日本においては少数派であるわけで、江夏や清原から大谷への「進化」は「必然」のように日本では見えてしまう部分はあるけれども、世界的に見れば必ずしも少数派ではない部分はあるだろう。

大谷選手は「日本人離れした」体格とあふれる運動センスの持ち主で、「才能を持った選手が正しい努力をすれば成功する」という「身も蓋もない真実」を体現しているという意味で、非常に「新自由主義」的であり、その謙虚さや明るさ、人柄の良さから考えても大変「ポリティカルにコレクトである」存在でもあることは確かだ。「成果を上げたものが評価されるべき」という新自由主義は結局そういう「あふれる才能を持ち正しい努力ができる」人間しか成功できないという世界を現出したわけで、そこに閉塞感が生じるというのはまあ、当然のことだ。多くの人間はあふれる才能もないし、正しい努力もできないわけだから。

ただまあ、そのことは大谷選手の「責任」ではもちろんないわけで、小山さんも「そのエリート顔がムカつくんだよオオオオ」と「理不尽な」ことを言ってるから炎上はするのだが、その本質的な批判は個人に対してではなく状況とそれを支持したエリートや大衆に対して向いているわけだけど、それは書いているようにもっと大きな流れを見ておかないといけないのだと思う。

だから「才能も見えない底辺」が「がむしゃらな努力」や「無軌道な生活」でも「隠れたダイヤモンド」を見つけてスターダムにのし上がる、という「神話」を大事にしたい気持ちはもちろんよくわかる。まだまだブラジルやアルゼンチン、或いはアフリカではスラム街や辺境から頂点に上り詰めるサッカーヒーローは出てくるだろうと思われるわけだし。

また少し話は違うが、70年台のロックアーティストが皆無軌道な生活をして早死にしたり、無頼派といわれた作家たちがやはり無茶な生活をして早死にしたりしたのを見ていて村上春樹がマラソンを走る時代になったわけだから、音楽や文学もそうした「無頼は長続きしない」という身も蓋もない事実は明らかにされて、それで勢いを失っているという面もあるだろうと思う。

だから日本の状況に「閉塞感」を覚えるのはわからなくはないのだが、それは日本や西欧というある種「特殊な」世界の一部だけのことだともいえ、そうなっている現状のある種の幸運も、そんなにいつまでも続かない可能性もあるということは思ってていいのではないかという気はする。

安倍さんから始まった安全保障体制の強化を、岸田さんはさらに推進しているけれども、岸田さんには安倍さんのような「権威主義にもスタンスをおけるしたたかさ」みたいなものが欠けていて、その辺からある種の「暴走感」が醸し出されているような気はしなくはない。

日本でも国際政治学者のほとんどがウクライナサイドに立ち、「米欧中心の国際秩序を守れ」と叫んでいるのはそれはそれでいいと思うし、日中関係や日露関係から利益を得ていたような人々が「ロシアの正当性」を主張したりするのはあまり良くないと思うのだが、それよりはむしろ「戦前日本」という日本の、西側諸国においては明らかに「負の遺産」であるものが、よりグローバルに見たら「活用できる遺産」でもあるという面を(使い方を間違ったらお陀仏だが)生かしていける議論もまた必要なのではないかという気がする。


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