12.船場の道徳と近江商人:浄土真宗と日本資本主義の精神/トイレ掃除という修養(03/16 07:04)


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3月16日(木)晴れ

昨日は朝ブログを書いた後、細々したことをしていた感じ。SAで買ってあった「山脈塩タンメン」が賞味期限になったので野菜を炒めてタンメンを作ったり。腹の具合があまり良くなかったので大丈夫かなとは思ったのだが、返って良くなった感じがある。美味しいものはやはり体に良いのだろう。

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少し時間ができたので読みかけの本のうち「「修養」の日本近代」の松下幸之助のところを読み、ダスキンの鈴木清一のところに入った。

いくつか重要な話があり、割と順不同で書かれていた感があったのだが、私の考えている「保守の系譜」的な方向性から少し整理してみる。

江戸時代の船場は商人の街だが、船場の精神というのは西鶴のいう「始末・才覚・算用」を重視した商人道徳で、丁稚の教育・しつけに最も力を入れていたという。

また石門心学など学問も援助し、実際に商人たちが吸収していて、インフラの整備(橋など)や文化・宗教にもお金を出す伝統があったと。

御堂筋という道があるが、これは北御堂(本願寺派)と南御堂(大谷派)の二つの浄土真宗の寺の筋ということで、船場の商人は殆どがこのどちらかの門徒であったという。

また特に明治以降は同じく門徒の近江商人の影響を受け、彼らの浄土真宗信仰からの「売り手によし買い手によし世間によし」の三方よしの精神が入ってきていたと。この精神が日本資本主義を支えたエートスであったと内藤莞爾が指摘しているということだ。

したがって商人とはかくあるべきものだという倫理観が生まれ、それを松下が自然に継承しているという面があるということのようだ。

そうした下地の上に、松下がラジオの修養番組をよく聞いていて、それを社員に訓示したりしていたというのは面白かった。松下は蔵書も少なく特定の学問を収めてもいないし特定の宗教に入信もしていない。

松下の聞いていたラジオ番組はラジオ黎明期の人気番組で、毎朝放送されていた「聖典講義」「朝の修養」という番組名だったという。これは今でも早朝にやってる「こころの時代」とか子供の頃聞いた「人生読本」とか朝一ついい話を聞いて1日をスタートする、みたいな感じだろうと思う。

書籍で言うと、例えば「読むクスリ」とか「365日今日の言葉」とかそんな感じなんだろうと思う。朝っぱらから変なニュースとか聞くよりその方が精神衛生上はいいだろう。誰だったか、「毎朝新聞を読んで気分を悪くして1日をスタートさせるやつは馬鹿だ」みたいなことを言った人がいたが、確かに朝はなるべく清々しい気持ちでスタートさせた方がいい。

放送規定的にテレビやラジオの宗教放送は特定の宗教の勧誘などを目的にしたものはダメで、誰の心にも届く普遍性が求められたということで、だから松下が聞いたのも「宗教的な話」というよりは「宗教っぽい話」になったのだと言う。そういうことの影響で日本は「宗教っぽい考えは持っているけど無宗教」みたいな人が多くなったのだろうな、と言う納得感があった。

ただやはり影響を受けたものはいくつかあり、松下のいわゆる「水道哲学」と言うのは天理教の本部を見学して受けた圧倒的な印象に影響されてできたものらしい。私も天理駅から天理教の本部までの道は歩いたことがあるが、圧倒的な宗教都市の印象で、これらが信者の奉仕で成り立っていることに強い印象があったようだ。そして商人がやるべきこととして「水道の水のように誰が手にとっても気にされないようなふんだんな道具たち」を作り出し、世の中に行き渡らせること、と考えるようになったのだなと思う。

松下はPHP研究所を作り、松下政経塾を作るなど社会・学問・政治の分野にまでさまざまな貢献(政経塾に関してはいろいろどうかなと思うところもあるが)をしているわけだが、多くの宗教施設にも多大な寄付をしていて、寺院でも浅草寺雷門、三十三間堂、大徳寺、高野山、三井寺、醍醐寺、泉涌寺など多岐にわたり、伊勢神宮崇敬会会長を務め、幕末の志士を祀ったり、飛鳥の荒廃を政府に訴えて飛鳥保存財団を作り、高松塚古墳壁画の発見にもつながったと。


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