1.「ラ・ラ・ランド La La Land」感想続き。(2)志と愛の映画。(03/13 19:32)


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<画像:Ost: La La Land>
Ost: La La Land [CD]
Original Soundtrack
Interscope Records
2016-12-16


「ラ・ラ・ランド」感想続き。

この映画、書きたいことがたくさんあるのとどういう角度で書けばいいかがいろいろあって、短い時間の中でそれを全部書くのは難しいだろうということもあって、どうも思い通りに書けないのだが、でもブログってそういうもんだと思いながら書いた方がいいという気もして、とにかく書いてみようと思う。

これ、さっきの感想にも書いたんだけど、映画好きのための映画、という側面が結構あると思う。ロサンゼルス名所案内みたいなところからとにかく愛のシーンでは踊る、というインド映画的な感じもあるし、まあミュージカルってそういうものだと言えばそうだけど、そこらへんのところが「Funny Face」を思い出さされて仕方なかった。

Funny Faceはヘプバーンが本当にシンデレラガールで、本人の努力とかが描かれてないところが50年代的なんだけど、その分コメディ感が強かった。今はもう同じものは作れないけど、ミアの努力が描かれてるところが現代ではあるし、やっぱりそこにリアリティがある。でもキスシーン以上の濡れ場は無いとか、最近のハリウッド映画の方向性に逆らってるところもあるわけで、そういうところがわりとすっきりしていてよかったと思う。

ハリウッド映画、やはり興行成績を稼がなくてはいけないし、その分大衆に迎合する的な側面はあるわけだから、そういうものはあまり見たい気がしなくてあまり見てなかったのだけど、昔見た映画で言えば「ナイン・ハーフ」とか侮れない映画もあって、でも今回の作品は思いっきり映画や音楽や演劇に対するオマージュで、そういうものもちゃんとハリウッドで撮ることが出来るんだと言うことが凄く斬新な感じがして、久しぶりにハリウッド映画の力を感じたし、またこういう映画を見てみたいなという期待も感じた。という点で、自分の中では結構大事な印象を持つことが出来た。

夢を追いかけてでも現実とも戦わなくてはいけなくて、つまりこの映画はハリウッドの映画人たちの自画像みたいな映画なので、そんなものをおろそかに撮ることは考えられないよな、とは思う。やはり主演のエマ・ストーンの存在感が全ての場面をつなぎあわせていたこともまた確かだなと思うけど。でもまあ、そういう自画像みたいな映画だから、トランプ政権成立と言う状況下において、そういう映画に「アカデミー賞」を授けることは出来ない、というような力学もまた働いた気がする。ああいうドタバタになった裏には、そういう授与側の葛藤みたいなものがあったんじゃないかと想像してしまうんだよね。

ハリウッドはララランドであって、でもララランドはハリウッドだけじゃない。諫山創さんも「自分のようなララランドの住人は」と書いてたけど、映画にしろ音楽にしろ演劇にしろあるいはマンガにしろ、そういうものを作り出す志を持って格闘し続けている人は、皆ララランドの住人だし、もっと大きな視点から言えば、理想に向かって現実と戦っている人たちはみんなララランドの住人だと言えるかもしれない。

そういうララランドの住人にとっては、この映画は心を揺さぶられないではいられないところがある。

お互いの夢を尊重しあい、お互いを尊敬しあってそれぞれの道を打開して行こうとする二人が、お互いがなかなか志を得られないことに焦り、自分の志を曲げてしまったり、あるいは無意識かもしれないが相手の志を曲げようとしてしまったりする。それは決してお互いを尊重しないからではなく、愛を守ろうとするからなのだけど、でもそこで確実に二人の間にずれが、あるいは溝が、そして亀裂が生まれ、二人は追い込まれて行く。

それはとても普遍的なことで、だからある意味誰にも通じることで、志を持ち、それを実現することの困難さを知っている人には、共感せざるを得ない作品だと思うし、逆にそうでない人に取っては何がテーマになっているのかもピンと来ない、そういう作品かもしれないと思った。


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