13.「ナチスはいいこともした」という言葉をめぐって思ったこと。(08/31 12:16)


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「ナチスはいいこともした」という言葉をめぐって思ったこと。

ヒトラーが最初はいい政治家と思われていた、というのはあまり正確ではない。もともとヒトラーが名を売ったのはミュンヘン一揆と言われる武装蜂起事件で失敗したことだったので、最初から暴力的な側面を強く持った指導者であったことは確かだ。ただ、それならば当時は各国で起こっていた武装蜂起と質的にどこが違うのかといえば難しい。

しかしヒトラーはその後武装蜂起の方法論を改め、ヒトラーとナチスがドイツ全国に名が売れだした頃には改心して暴力的な部分はなくそうとしていると錯覚させるところもあった。その時期にそんなに悪い政治家でもないという印象を与えたとしたら、それが「最初はいい政治家だった」という言説として残ってるという意味では、そういう言説はあったと言えるかもしれない。しかしその一方で「我が闘争」には有名な大衆論を書き、その暴力的な本質を明らかにしているわけだが、そこに書いてることを本気にした人たちは支持者の中にも多くなかったことは、ドラッカーも「経済人の終わり」に書いている。

一方で、「ナチスはいいこともした」という意見があるとしたら、それは自動車税を廃止し自動車の生産を盛んにしてアウトバーンを整備し、インフラ産業・自動車産業を発展させて失業を吸収したり、安価に入手できるラジオを開発して国民に普及させたこと(39年で普及率70%)など、主にケインズばりの需要喚起政策でドイツの経済を復活させたことを指しているのだと思う。

こうした経済政策では明らかに戦後ドイツもナチス及びヒトラーの経済政策の「恩恵」を被っているところはあるわけだが、このあたりについては思想的にはどう考えられているのか、もう一つはっきりしないところがある。基本的にはナチスは侵略主義的で全体主義的で、またホロコーストという絶対悪を為していることは確かであるから、その前では取るに足りない功績と考えようとされているように思う。

しかし、ナチス・ドイツがイギリスを空爆したV2ロケット(弾道ミサイル)を開発したフォン・ブラウンはその後アメリカに移住し、ロケット開発の中心になったことは周知の事実だ。また、その他の技術者もソ連に連れ去られて宇宙開発に従事し、両大国が宇宙開発競争を行った。そう意味では、宇宙開発自体が壮大なナチスの遺産だということもできる。

そう考えてみると、ドイツもロシアもアメリカも、また科学界もナチスの遺産を都合よく使っていながらヒトラーやナチスを非難し完全否定するという矛盾に、ナチス非難のロジックの弱さがあるように思う。ナチスがなければいい意味でも悪い意味でも現在の世界はないという事実が直視されていないのではないか。

現に存在するそうしたナチスの「遺産」と計り知れない「罪悪」をめぐり、西欧世界はとにかく完全否定こそが政治的正義であるということになっている。いわばそれはポリコレ的思考停止なのだが、それは結局はその矛盾を凍結するための苦肉の策だと思われる。したがって、必ずしもナチス時代と自らの現在とが直結していると意識されない日本などでは、その矛盾があまり強く意識できなくてもそんなに不思議ではない。

別の言い方をすれば、西欧はナチスやヒトラーの存在の歴史的な意味をまだ消化できていない。このポリコレ的凍結という態度は、中国が天安門事件を言及すら禁止していることと、そういう意味で共通する部分はある。中国もまた、国民を戦車で轢き殺し、それが世界に晒された天安門事件をまだ消化できていないのだ。

ナチスに対する態度としては、以前は共産主義者ないし左翼の資本主義批判の論理の中に資本主義がナチスを生み出したのだから資本主義は悪という論理があったが、今では廃れている。現在ではむしろドラッカーやハイエクのように、ナチスの「国家」社会主義は共産主義や社会主義と同じ全体主義だから社会主義は悪、という論理の方が強くなっている。

しかしそういう意味では資本主義支持・社会主義支持の双方にナチスの呪いはかけられていて、左翼リベラル系の運動にはナチスと同じ全体主義的抑圧という言説(禁煙ファシズム、フェミナチなど)、資本主義には非人道的国家さえ利用する金の亡者という批判が付いて回る。ナチスは未だに都合よく他者の批判に利用されている。それはある意味自らの傷を敵に投影しているように見える。

簡単に言えばナチスを皆が嫌悪し否定しようとするのは、特に西欧人の中には右に行こうと左に行こうと極端に行けばナチスに類似してくる可能性が常にあるからで、そのために現代人にとっては呪いのようなものになってしまっているのだ。


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