東京では夕方地震があったのだが、私はちょうど木場駅のあたりを歩いていたのだが、全く気が付かなかった。地下鉄に乗ろうと思って階段を降りて行ったらアナウンスがあって地下鉄が止まっているという。自販機は全て発売中止。無理に乗ろうとする選択肢もあったがやめて、地上に出る。私が気が付かないくらいだからたいしたことはなかったのだろうと思ったのだが、階段ですれ違ったおばさんたちが「喫茶店にいたら凄く揺れて怖かった」という話をしていた。歩いていると分からないものかなあと思う。
東陽町まで戻り、駅前の文教堂で安野モヨコ『働きマン』の第2巻を買う。すると、店内に江東区の災害連絡のようなものが入り、気をつけろという。何か狐につままれたような気分で店を出る。永代通りを走るバスがなんとなく混んでいる。西友に行って夕飯の買い物をするが、どこといって違ったようには見えない。家に戻ってテレビをつけると地震情報が流れている。よく見ると、本棚の本が二つ落ち、ベランダの植木が倒れていた。それなりに揺れたようだ。
私は地震や台風は別に好きなわけではないが、そういう自然の脅威を感じさせるようなことが起こるとなんだか心が揺さぶられるような高揚したものが生まれるのだ。台風の日に職場で「こういう日は盛り上がりますね」といったら「盛り上がらないけど」と反応されて残念に思ったことがあった。なぜ盛り上がらないのだろう。
だから、もちろんたいした被害が出なくてよかったのだが、揺れを感じなかったことが妙に心残りになっている。
地下鉄はまだ止まっている。私はなぜ揺れを全く感じなかったのだろう。不思議な気分がいまだに続く。